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<駒ヶ根ソースかつ丼とは>


 駒ヶ根ソースかつ丼はご飯の上に千切りキャベツを敷き、その上に秘伝のソースにくぐらせた「カツ」を載せた丼です。
シンプルな料理ながら、熱々のカツと冷たいキャベツの歯ざわり、それらに絡む甘辛味のソースが絶妙です。一度食べたらクセになりますよ。


昭和のはじめから駒ヶ根市内で提供されていた丼で、以来駒ヶ根では「カツ丼」というと、この「ソースがかかったカツ丼」を指すようになりました。(駒ヶ根市における発祥はコチラから)
今でも駒ヶ根市内では、一般的な「カツ丼」=「卵でとじたカツ丼」は、特別に頼まないと(「煮カツ丼」や「卵とじカツ丼」と言わなければ)出てきません。

駒ヶ根市の皆さんは、「駒ヶ根ソースかつ丼」という名称に違和感を覚えるでしょう。私達にとっては「カツ丼」なのですから。しかし、この名物料理を全国に発信するために、敢えて「駒ヶ根ソースかつ丼」と「駒ヶ根」の冠をつけて宣伝をしています。

「多くの皆さんに駒ヶ根を知ってほしい」、「駒ヶ根に『カツ丼』を食べに来てほしい」、そして「地元の皆さんにも駒ヶ根のご当地グルメとして末長く愛してほしい」、そんな願いが込められています。


駒ヶ根市では平成5年に市内飲食店有志により「駒ヶ根ソースかつ丼会」が発足、以来「ソースかつ丼による街おこし」に取り組んでいます。
どのお店に入っても一定の基準が保たれるよう、会ではお客様のためのソースかつ丼規定を設けています。

<お客様のための駒ヶ根ソースかつ丼規定>
其の一 器は丼に限定する。
其の二 ソースかつ丼の肉は豚肉のロースを基本とし、120グラム以上とする。
其の三 かつはパン粉を付けて揚げたものでなければならない。
其の四 キャベツは細かく切って水に浸してから水分を切って丼の飯の上に載せる。
其の五 かつを揚げる油については油脂は自由としても良いが、
揚げかすは必ず取り、汚れた油では揚げない
其の六 ソースはソースかつ丼会で作ったものを最低基準とし、
これに工夫することが望ましい。
其の七 かつを揚げてソースを潜らせる時、ソースも温めておき、
揚げたてのかつをそのままソースに潜らせて切って飯に載せても、
切ってからソースに潜らせて飯の上に載せても自由とする。
其の八 海苔等はソースかつ丼に載せない。
また、キャベツ以外の野菜は載せない。
其の九 蓋は自由とする。

駒ヶ根で美味しいソースかつ丼を食べるなら、駒ヶ根ソースかつ丼会加盟店へどうぞ!!


<駒ヶ根ソースかつ丼の発祥について>

駒ヶ根でのソースかつ丼の誕生を街の人々に調査してみることにします。
早速飲食店に聞いてみよう!

証言1:大正生まれの駒ヶ根育ちで飲食店を営むご主人
「喜楽」の初代の主人が下伊那の方から、この駒ヶ根にきて、カフェーをつくったが、大変食道楽の方で財産を殆ど飲食に回すほどの人だったらしいよ。そこで、その取り返しをカフェーで考えたのが、今のソースかつ丼という話だよ。

フムフム・・・。次はかつ丼といえば豚肉。肉屋さんに聞いてみよう!

証言2:肉屋の主人のお話
知り合いの寿司屋のおばあちゃんに聞いた話によると、ソースかつ丼は「喜楽」の初代の主人が、カフェーを昭和3年に開店させ、その頃カレー、カツレット、オムレツなどの洋食が盛んになりはじめた頃でね。そこで、その料理を見て、初代の主人が今のソースかつ丼を考えたようだよ。

喜楽か・・・。よし直撃インタビューだ!

証言3:喜楽3代目に聞く
おじいちゃんは道楽者で、破産してしまったんだけど、その頃に伊那電気鉄道株式会社(飯田線の前身(私鉄)の株を持っていたこともあり、赤穂駅(現駒ヶ根駅)の構内あたりにカフェーを開いたの。そこでかつ丼(ソースかつ丼)を始めたんです。年代は昭和11年頃だったっけ。おじいさんは煮かつ丼を見て、ソースかつ丼を思いついたんです。いわゆる食通だったおじいさんは、熱々の揚げたてトンカツにソースがかかっていて、冷たい歯ざわりのキャベツとの感触が良い。ってこだわって作ったようです。
煮カツ丼と違って、残りのトンカツを使うことが出来ないので、大変なんですけどね。

駒ヶ根ソースかつ丼のパイオニアは、
喜楽初代店主 市瀬正一氏で決定!



<ソースかつ丼の誕生>

全国的に「カツ丼」と言うと一般的には「卵でとじたかつ丼」だと思います。
ところが!
カツ丼の歴史を紐解いてみると・・・なんと!最初の「カツ丼」は「ソースで味付けをしたかつ丼」だと言うことが分かります。

かつ丼誕生の2説

1.大正10年早稲田高等学院生中西敬二郎氏らがソースかつ丼を考案。周囲の食堂にて学生をターゲットとしたメニューとして広まる。また、そこから全国へと広まることとなった

2.明治時代にドイツへ6年間留学した、高畠増太郎氏により、大正2年東京の料理発表会でソースかつ丼を発表。その後東京早稲田鶴巻町の自分の食堂のメニューとした。

文春文庫『ベスト オブ 丼』より
カツ丼は大正10(1921)年2月、早稲田高等学院の学生・中西敬二郎さんが考案した、というのが定説である。この丼メシはよほど日本人のくちにあっていたのであろう。二ヶ月後には、東京銀座や日本橋の食堂が早くも品書に取り入れ、夏には玉子とじカツ丼の姿となって大阪道頓堀に現われたという。
もっとも異説があって、大正六年に、『(早稲田)正門前の鶴巻町を少し行った右側』の『余りパッとしない食堂』でソースカツ丼を食べたという早稲田高等予科(当時)学生の証言もあり、また、『どんぶり探偵団』は、その食堂の主人・高畠増太郎さんの存在をつきとめている。ドイツでの料理修行を終えた高畠さんは、大正二(1913)年に東京で開かれた料理発表会で創案のソースカツ丼を披露し、早稲田鶴巻町の自店で売り出したのだ。カツ丼の先駆者は高畠さんなのである。と記しても、同時代に先駆者であった中西さんの栄誉を傷つけることにはなるまい。

つまり。。。ソースかつ丼はカツ丼の元祖である!と言えます。

<全国のソースかつ丼>

「かつ丼と言えばソースがかかったかつ丼」という地域は他にもあるようです。
例えば

福井県福井市
ヨーロッパ軒というお店が、ソースかつ丼を始めた。
特徴:キャベツなし、さらっとしたソース

群馬県桐生市
志多美屋というお店が始める。
特徴:キャベツなし、さらっとしたソース

福島県会津若松市
特徴:キャベツあり、とろみソース

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